ほんとのところ

江原啓之はインチキという批判の裏にあるもの

江原啓之はインチキとか、霊視はウソだという批判を、雑誌やインターネット上でたびたび目にするようになりました。

「オーラの泉」「天国からの手紙」はヤラセじゃないかとか、出演者のプライベートを事前に綿密に調査して、それをあたかも霊視して当てたように話しているとか、そんな批判が多いようです。

江原啓之さんもけっこう思いこみの激しい人じゃないかなと感じていて、私は別に江原啓之さんの発言がすべて正しいとは思っていませんが、バッシングの背後にもっと根深いものがあることを感じています。

このバッシングの背景にあるもの、それは間違いなく思想のぶつかり合いです。

霊界(スピリチュアルな世界)があるのか、ないのか?人間は死んで焼かれたら土に還って、それで終わりなのか、それとも死後の世界があって、スピリチュアルな存在として生き続けるのか?

この思想のぶつかり合いなのです。もっと言えば、有神論と無神論(唯物論)のぶつかり合いです。

これは私たちにとって大問題なのです。それによって生き方が全然違ってくるでしょう?


死んだら全て終わりと思えば、「生きてる今さえ良ければいい」「他人に気づかれなければ、直接迷惑をかけなければ何をしても良い」ということになります。

そして生きてる間の心配は、とにかく「老後」ということになります。それが人生最後にいきつく先なのですから。「老後」のために・・・、もう30代くらいからそんな感じの人もいますね。


死んですべて終わりではない、肉体は死んで灰になったとしても、心はスピリチュアルな世界で生き続ける、生前の生き方によって、次の世界での幸不幸が変わってくる・・・そう思えば、「いまだけ良くてもだめ」「他人が気づいていないからと言って、悪いことをしてはいけない」ということになります。

死んだ親や親戚から見守られてる、目には見えなくても見られてるのであれば、なかなか悪いことはできない、悲しませたらいけない、そんなふうに心にブレーキがかかります。

そして生きている間の心配は、「老後」ではありません。死んだ後の次の世界、スピリチュアルな世界ではどうなるのか?ということになるのです。「老後」の心配だけをしていればいいのではない、「老後」には「その後」がある、死んだ後の自分自身を心配しなきゃいけないということになります。

そのためには、ただ長く楽に生きればいいということではなくなります。人生の長い短いではなくて、どのように生きたのか?老後にはどんな人間性を持った人間になっているんだろう?福顔のおじいちゃんおばあちゃんか?それとも意地悪じいさんばあさんになっているのか?(笑)


何か宗教的な話、道徳的な話のように聞こえるかもしれません。でも、いつかは誰もが、真剣に考えざるを得なくなることでしょう?自分が死を目前にしたときとか、肉親の死に直面したときとか。


結局はこの思想の違いが、批判の元になっているんですね。

スピリチュアル、霊界など無い、人間の頭が考え出したものだ、昔の人が子どもをしつけるために考えた方便にすぎない、そう考える人からみれば、江原啓之さんはまさにインチキ、ウソでしかなく、霊視番組もヤラセとしか考えられない、こんな番組を公共の電波に乗せて流すとは何事か・・・となるわけです。その気持ちもよくわかります。

ホントのところはどうなのか?死んで見なきゃわかりませんね?でも、一度行ってしまったら帰ってこれる世界ではないので、私にもわかりません(笑)

ただ、個人的には20年以上も占い相談をやってきて、スピリチュアルな世界があると考えなければ説明がつかない体験があまりにも多いので、わたしとしてはスピリチュアルな世界があると考えて生きています。


またよく、江原さんもお金儲けのためにやってるんじゃないかとか、商業主義的な立場で批判されることも多いですけど、もしそうであるならば、批判されるべきは、江原啓之さんそのものではなくて、江原さん人気やスピリチュアルブームを利用して一儲けしようと考える、テレビ制作者や出版社、広告主ではないかと思います。

江原啓之さんの立場からすれば、テレビ番組や出版物を通して一人でも多くの人にスピリチュアル的な生き方、考え方があるんだということを伝え、人生の助けになることができればそれでいい、と考えておられるのではないでしょうか?「テレビ番組もいつやめても良い」ということをおっしゃったことがあります。

だって、江原啓之さん自身はスピリチュアルな考え方をもって生きている人なんですから当然です。


とにかく、スピリチュアルを認める人と否定する人とでは、考え方、人生観、世界観がまったく異なりますから、これを前提に議論しないとまったくかみあいません。


長くなりました。
わかりにくかったらコメントください。

宮沢賢治とスピリチュアルなアクセサリー

江原啓之さんオススメのジュエリーデザイナー杉山弘幸さんが、宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」をもとに、アクセサリーを作られました。


100年以上たっても愛され続ける宮沢賢治の童話。年月が経てばたつほどその輝きが増すようです。その魅力の秘密は・・・スピリチュアルにある!と私は見ています。

宮沢賢治の童話や詩を読むと、どうしてもこの世ではないもの、あの世を見てきて描いたのではないかという表現が多いのです。

その幻想的な不思議な世界を、ジュエリーデザイナー杉山弘幸さんが見事にアクセサリーとして表現されています。

これは主人公の二人が乗って旅をした蒸気機関車と、出会った風景をモチーフにしたリング。幻想的な銀河の旅の思い出を水晶に閉じこめたそうです。


この「銀河鉄道の夜」コレクションには、銀河鉄道最初の駅で見つけたクルミの化石をモチーフとした「くるみペンダント」、ケンタウルスの祭りで子ども達が川に流した「烏瓜の灯り」をモチーフとしたブローチなどあります。

水晶がますます輝きを放っているようです。「石っこ賢さん」と言われるほど貴石が好きだったという宮沢賢治さん。あの世でも大喜びなのでは?

動機と行動が大切

江原啓之さんは、いろんなスピリチュアルな話をされています。

ただの霊能者というのじゃなくて、しっかりと足を地につけて、現実生活の面においても調和をとって生きていけるようにアドバイスされているのが素晴らしいですね。

先日ある雑誌を見ていたら、江原啓之さんの記事がありました。

だいたいこんな内容だったと思います。

「掃除はオーラマーキングだとかいうと、そのことばかりに目がいってしまう人がいますが、それは枝葉のことで、もっと大切なのは、動機と行動です。

一人暮らしなら自分自身で、あるいは家族がいるなら家族みんなで掃除をする、これが大事なんです。

家族を明るくしよう、そういう動機でみんなで力を合わせて掃除をする、これが一番大事なことなんですよ」と。

確かに、私も風水や開運のアドバイスをやっていて思うこと。

風水で環境の調節をすること、占いで自分や家族の運命を知ることも大切なんだけれども、やはり最高の開運は夫婦仲、家族の仲が良いことなんです。
一人一人においては、「笑顔」が絶えないことですね。


ところで最近は、「引き寄せの法則」という本が書店に山積みになっています。

同じ「引き寄せの法則」というタイトルの本が何種類もあって、どれが本家本元で、どれが便乗本かわからないくらい(笑)

楽天ショップでもこんな感じで・・・。

 http://www.potoslime.com/link/secret.html

あの「引き寄せの法則」って「縁の法則」とか「因果の法則」というもので、スピリチュアルの法則そのものですよね。


「笑う門には福来たる」

「泣きっ面には蜂」

ということわざそのまんまです。

2008年、やっぱり原点に返る年なんだな~と感じています。

オーラは色よりも清さ

江原啓之さんは、2008年に入って、「オーラの色よりもオーラの清さの方が大事だ」みたいなことを言われていますね。

オーラがくすんでいないか?魂が汚れていないか?というわけです。

たとえば、青いオーラは冷静さを表すけど、マイナスに出るとケチとか、幅の狭さにつながる。

赤いオーラは情熱を表すけど、マイナスにでると、情念とか怨みにつながるとか。

私は、オーラについてはあまり詳しくないのですが、占いでも同様なことをよく言います。

意志が強い人というのは、言い換えると頑固、人の言うことを聞かない人ですし。


個性は個性として人それぞれです。

自分のオーラの色は何色だろう?個性は何だろう?と関心を持つ以上に、自分のオーラは輝いているだろうか?くすんでいないだろうか?それをチェックしないといけない、ということですね。

2008年、膿が出る年、そして悪いものを洗い流す、清さをもとめていく年、そのように江原さんは語られています。

ソウルメイト

ゲストとして少年隊の東山紀之さんが登場された「オーラの泉」で、江原啓之さんが「ソウルメイト」についてとても興味深いことを話されました。

「ソウルメイト」を直訳すると「魂の友」ということになります。

「運命の出会い」「自分自身にとってかけがえのない人」、どちらかというと自分にとって「いい人」をイメージしますね。

でも、ソウルメイトというのは自分にとって都合のいい人ばかりとは限らない、いやな人、苦手な人として目の前に現れることもあるというのです。

たしかに、出会いは偶然ではない。

「袖振り合うも他生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)」ということわざがあります。

すれ違って袖がふれ合うだけでも、偶然に出会ったのではない。何か縁があって出会ってるんだ。他生の縁、それは前世の縁という意味です。仏教的な言葉なんですね。

縁というのは不思議です。特に、最近は現実世界で出会うだけでなく、インターネットを通じると、時間空間を越えて出会ってしまいます。似たもの同士で目に見えない糸にひかれるようにして出会いますよね。

以前にも書きましたが、私は常々、インターネットというものはスピリチュアルな世界にきわめて似ていると感じてます。


もうひとつ、ことわざを・・・。

「情けは人のためならず」

これは、「情けをかけることはその人を甘やかすことになるからよくない」という意味・・・ではなくて、「情けをかけることは、その人のためにやっているようだけれど、めぐりめぐって自分自身に返ってくるんだよ。情けは人のためのだけではなくて、自分のためでもあるんだよ」という意味です。

自分にとって損か得か、ただそれだけで判断しがちな世相のなかでも、インターネットに深く関わって生活している人たちは、だんだんそのことに気がついてきているみたいですよ。

「情けは人のためならず」、これもとってもスピリチュアルな言葉ですね。

江原さんバッシングはどこへ・・・

美輪明宏 スピリチュアル批判に「江原さんは本物」
 人気番組「オーラの泉」をはじめ、テレビに雑誌に大活躍の「スピリチュアルカウンセラー」江原啓之(42)だが、最近一部のマスコミでは「江原バッシング」とでも言うべき江原叩きが起こっている.......... ≪続きを読む≫

[アメーバニュース]


最近、江原さんがバッシングされていることに対して、「オーラの泉」の共演者、美輪明宏さんが、「彼は本物。そんじょそこらの人とは違う」と語られたそうです。


霊界を否定する人、見えない世界を信じれない人からすれば、いまのスピリチュアルブームには、苦々しい思いがすると思います。いかにもうさんくさいという感じでしょうね・・・。

これは価値観のぶつかり合いなのですね。

答えは二つにひとつ、霊界はあるかないかのどちらかだと思います。私もあの世に行ったことはないですけど・・・・。

江原さんの言行が、イカサマなのか真実なのか。どうなんでしょう?美輪明宏さんは、「彼は本物。そんじょそこらの人とは違う」とおっしゃってます。

どちらを信じるかで、人生はまったく変わりますよね。一度は真剣に考えてみるべきことだと思います。

日本では、霊界を信じる、神を信じるというと、変な目で見られたり、宗教を、やたら拒否する風潮があります。でも、世界のなかで霊界を信じない人、もしくは神を信じない人は、少数派なんですよね。

友人がドイツで、「神を信じない」「無宗教」と言うと、野獣をみるような目つきで見られたと言ってました。「神を信じない=何をしでかすかわからない怖い人」というように見られたというわけです。

それって、高校生がたむろしているゲームセンター近くで味わう、あの感触・・・?

首相が「美しい国日本」と叫ばなければならない国になってしまったのは、これまであまりにもスピリチュアルなものを否定してきたからではないでしょうか。

亡くなった方に対して

先祖供養と江原啓之さん の話の続きです。

 

江原啓之さんは、

「よくご先祖様におじいちゃん、困った事がおきちゃったから助けてなど、この世に未練を残させるようなお願いなどはしない方がいい」

とも語られています。

一番大切なのは、生きている自分自身の生き方で、

亡くなった方が心配するような生き方だと、亡くなった方も浮かばれない。

心配いらない暮らし方が良い

ということでした。

 

そういえば法事も、亡くなった方にたいして、「私たち家族、親族、このように元気に仲良くやってますよ。安心してくださいね」と見せるものだ

そんな話も聞いたことあります。

 

2006年8月18日|コメント (0)

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先祖供養と江原啓之さん 2

先回の記事、先祖供養と江原啓之さんの続きです。

 

先祖供養ということを考えたとき、スピリチュアルな世界についての意識は大問題です。

たしかに先祖供養、お盆にお墓参りしたり、法事をすることは日本の文化としてすっかり定着してますけど、

ただ習慣的にお墓に手を合わせている、法事をしているのが先祖供養だとは思いません。

「死んだ人はそれで終わり」と思ってる人、魂の存在を信じていない人が先祖供養したとしてもそれはカタチだけで、全然心もこもるはずないと思うんですね。

 

肉体は土に帰ったとしても、魂は生きてる、そう思うからこそ、

江原啓之さんのおっしゃるように、スピリチュアルな世界は確かにある、魂は生きている、だからこそ先祖供養をするのだと思います。

魂の存在を信じてないでお経をあげているお坊さんなんて「偽善者」と思ってしまうのは私だけでしょうか?

 

 

2006年8月17日|コメント (0)

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先祖供養と江原啓之さん 1

お盆はいかがお過ごしでしたか?

私は今年の夏は諸事情で、帰省することができませんでした。

遠く故郷を偲びながら手を合わせて・・・。

 

ご先祖さまにはちょっと申し訳ない気持ちもありましたが、

江原啓之さんの先祖供養にたいする考えを知って、ほっとしてます。

先祖供養について、江原啓之さんは次のように語っておられるんですね。

「ご先祖様や亡くなった方への供養は、別にお墓に行ったりしなくてもどんな場所でも出来るんですよ。

その場でその方を思って手を合わせ、こちらは何も心配ないよと思うだけで供養は出来るんです。

お盆や49日などは区切りをつけているだけのものなので、その日に行かなくても大丈夫です。」

 

2006年8月17日|コメント (0)

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オーラと気の違いとは?

最近、江原啓之さんのTV番組「オーラの泉」のおかげで「オーラ」という言葉がとてもなじみ深いものになりました。

風水では「氣」の理解がとても重要になります。

というか「氣」にはじまり、「氣」に終わるみたいな・・・。

 

私としては漠然と、オーラって「氣」みたいなものかな?

江原さんが著書のなかで「エクトプラズム」と言われてるものが「氣」に近いかな・・・なんて思っていました。

 

 

2006年8月 5日|コメント (0)

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